逆さに回る時計
どんな話を中田がしていたのか、はっきりと思い出せない。しかし、どこかで見た日時計がどうとか言っていたようだ。ヒロ子さんはよく見かける、店の常連さんとなんだか楽しそうに笑い声を挙げていた。
「中田、お前、こどもの頃、なにかを分解して叱られたことはなかったか?」
「姉が大事にしていたオルゴールをやったな。どうしたらあんな可愛い音が出るのか不思議で。叱られたというより、泣かれたのを思い出す。悪いことをしたと、思い出すたびに気持ちがシーンと沈む」と、言いながら熱燗をぐいっと飲みほし、気を取り直して、
「川口、お前はどうだ?」と問い返してきた。
「家に十㌢四方ぐらいの白い石、焼き物でなかったような気がするが、それに入れ込んだ置き時計があった。それを妹と二人で、解剖すると言いながら分解したことがある」
「時計の解剖か! フンフン」と、その後に続く笑える話を期待している様子。
「小さなネジ回しを持ち出して、時計の裏側から開くのだ。なにが出てくるか、そばの妹まで目を輝かしていた。蓋をとると、まるで生き物のように小さな歯車、それよりすこし大き目の歯車がチッチと動いている。あれは、まさに生き物だったな。それから、わずかずつ歯車をはずしバネが見え出して手を止めた」
「はずした歯車はどうした?」
「一応、はずした順に並べはしていたが、元に戻すのは、大苦労だった。いたずらしているのを見つけられたら、大目玉を食らう。ちょっと焦ったよ。妹もそれが分かっているから、ものも言わずに手伝ってくれた。人間っておかしいところがあると、その時初めて知った。同じ苦境にいると、仲が良いとか悪いとかを越えて、同じ心境で結束するものなんだと思った」
「それでどうした?」と、なにかを期待するような笑いを含んだ声で、先を促す。
「分解するのに十分かかったとしたら、元に戻すのにその十倍もかかった気がする。それでやっと見た目には元の形になった。やれやれだった」
「一応、元通りになったか!?」となんだか残念そうに、徳利を空にして、
「ヒロ子さん、熱燗」と注文、それに合わせて、
「こちらも一本追加」と注文した。
「なにを話していたの、ニヤニヤしたり、汗をかきそうな顔をしたり」と、ヒロ子さんの目は、こちらにも届いていたようだ。
「こいつ、こどもの頃に時計を解剖したんだとさ」
「そんな衝動に駆られたこと、わたしにもあった。でも、解剖はしなかったけど」と話に加わってきた。
「でもなんとか、元へ戻したらしいんだ。ちょっとガッカリな話だったが…」に、ヒロ子さんが、
「中田さん悪人! 川口さんが失敗して泣きべそをかくのを期待してる」と、笑い顔でなじる。
「ところが、その次の日、妹が心配というか、不思議というか、とにかく冴えない顔付きで、『お兄ちゃん、時計逆さまわりしてる』と注進してきた。『?…?』だったよ。で、妹と頭を並べて、確かめてみると、秒針などない時計だから、しばらく見つめて、長針が十時のところから九時の方へゆっくり移動している。驚いたよ…」に、待ってましたとばかりに、中田が喜び始めた。
「ヨッ、話がオモシロクなってきた! ヒロ子さん。面白い話が始まるよ」と、掌を叩かんばかりのはしゃぎよう。そして、
「ハイ! 続き続き」と急がす。
「ヒロ子さん、聞いた? 中田の悪人ぶり」
「ワルガキ二人ってとこね。でもわたしも、続き続きって…」と、ワルガキの仲間入りをしてきた。
「うまい具合に、その置き時計は床の間の隅っこにあり、だれにも気付かれずに済んだ。
家の者が頼りにするのは大きい柱時計があったから。その内、ゼンマイが伸び切ったのか自然にとまったから。残念でした。それ以上の事件にはなりませんでした」
「なんだかツマラナイ話ね」とヒロ子さんはヤジウマ根性を隠そうともしない。
「ところが、不思議な気持ちになった。時計の針が後へ後へ回るんだから。ちゃんと元通りになることを神頼みして夜十時に寝るだろう。ところが朝八時に時計の前に座ると、時計は十時間前の十二時なんだ。最初はえっ、二時間しか寝ていないと錯覚した。そのうちに、時計の前に座ると、過去へ過去へ進んでいくような気がしたんだ。最初はそう思った」
「なんだか芥川龍之介の『河童』みたいな話。あれ、読んだ?」と、ヒロ子さんがだれともなしに問いかけた。
「読んだ、というより、中学生の読書の時間に読まされた。あのどこが、教科書になったんだろう。いまだに理解できない」と中田。
「最初はその『河童』話のようなものを感じた。でも、しだいに違った感じがしだした。なんと言ったらよいのか? 難しいが…。明日の朝、目が覚めたら時計が正常に戻っていてほしいと神頼みをしたのが柱時計は午後十時。解剖時計では明日の朝八時。そこから七時、六時、五時…、そして、日を越えて、八時間後の今日の午前0時でもあるのだが、そこからさらに十一時と今の方へ動いてくるんだ。こちらからあちらへ柱時計は動いているのに、解剖した時計はあちらからこちらへ動く。そんな風に、その時感じた」と言うと、中田が、
「アホな話だが、そんな風にも考えられるかもしれない。川口の家の柱時計は絶えず以前ー過去から今へ、そして今、いま、今と秒針が進む。対して解剖時計は、この先ー未来から動きだし、しかも、こちらも今、いま、今を繰り返す。両方の時計は常に『今』でぶつかっていると言うか、今というのが、過去からチクタクと登りつめた頂点であり、同時に未来からも、チクタクと坂道を登りきった頂点でもあることになる。か?」とつぶやいて、一人で頷いている。
「…過去が原因で今ー現在は結果とは聞いたが、未来が原因で現在があるとでも言いたげだな、聞き始めだ。もしそれが本当なら…、未来も過去ということになる? 未来という名の過去??」
「なんだか、分かったような分からない話。頭がゴチャゴチャになるわね」とヒロ子さん。
中田は、むしろ深刻に、不思議な話を頭の中で反芻しているような顔付きをしていたが、残った酒をグイッと傾け、なおも黙んまりをきめこんでいる。ヒロ子さは、新たに暖簾をくぐって入ってきた二人組を迎えにそちらへ行った。
「川口、お前の変人ぶりは、その頃からのものか? 一人旅に出るのに時計も持たずに」
「……? そうかな。でも俺はお前ほど変人じゃないからな」と反撃しながら、
「はて? あの時計その後どうなったかな。ついには、親たちから叱られたことがないから、どこかへいってしまったのだろう」と、大き目の杯になみなみとついでぐいっと飲み干した。
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