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2016年8月

2016年8月20日 (土)

ピンク色の茶碗

 夢をみていた。

 田圃の畦で、二本の杭で支えた看板を背にして、チラシを持った男がポツリポツリ通りかかる人に、何だか呼びかけている。

 チラシには、写真展があり、出品作品を募集していると書かれていた。応募費は三千円。このあたりで、夢から覚めた、というよりは夢と現の間を浮遊しているといったほうが正しい。

 『あれが写真にできれば、入賞できる』と咄嗟に考えていた。

 数年前、近くのスーパーの茶碗売り場に珍しく抹茶茶碗が出ていた。木箱はもちろん紙箱もついていない、剥き出し。値段は四百円。

 『煮物容れぐらいにはなるか?』と買って帰った。

 全体が紅色を薄くした、いわゆるピンク色で、正面とおぼしきあたりに、葡萄色の線画が施されている。造りは整っていない円形で両掌に少し余る大振り。

 今、この茶碗は、洋酒や金ピカラベルの安物紹興酒、ヒビのはいったコーヒカップなどが雑然と並ぶ飾りケースに納まっている。しかも、さらしものにするかのように、最上壇、何が入っているのか忘れている紙箱の上に、わざわざ鎮座させられている。

 『いくらなんでも、もうすこしましな茶碗と置き替えるか?』と、思ったこともあった。

 このケースの中には、老陶芸家が自ら選んで贈ってくれた抹茶茶碗が三、四客あるはず。でも、これ見よがしに、それを出すのもわざとらしいか? と不精の言い訳をしながら、ピンク茶碗をそのままにしていた。

 飾りケースは、食卓から、狭い廊下を挟んだ壁際にあり、ちょっと横を向くといやでもこの茶碗が目にはいる。しかも真っ正面に。それを目の端にしながら、おおかたは気にも留めてこなかった。

 ところが一度、

 『お前なあ、少しは茶器らしい色合いを出せよ。手触りは志野風で、まあまあなんだからさあ』と話かけたことがあった。

 それからどのくらい経ったころか、一日中歩き回って、ヤレヤレと、食卓につくと、ピンク茶碗があいも変わらぬ姿で目にはいった。不思議にその時、ホッと一息つくおもいがした。葡萄色の模様がピンク色になじんでいる。

 こんなことがあってから、

 『オイッ! 今帰ったよ』と声をかけたり、

 『ちょっと、今日は淋しそうじゃないか』などと話かけるようになっていた。

 そんな或る日、浮き上がっていた、茶碗のピンクの色合いが少しさめて、咲き出す前の桜の蕾が持つ薄紅色に変わっているように感じられた。葡萄色の線画も、我を主張せず、薄紅色によくマッチ。

 『おっ! 美しくなったじゃないか』と思わず茶碗を掌にとって、手触り、風合を褒めてやった。その時、薄紅色が恥ずかしそうに、ニコッとするのを見た。

 この茶碗がうつむき加減に見せた微笑み、これをカメラで捕らえられたら、写真展で入賞できると、チラシを見ながら考えていた。

 ここまできて、完全に夢から覚めた。部屋には朝の光が充満している。雑然と積まれた本が部屋を占拠。あいもかわらぬむさくるしい光景が遠慮なく視界をうばうばかりであった。 

 

2016年8月11日 (木)

永き夜は…

 夢と現の狭間でなにかモガモガやっていた。

 中の娘の相手から「永き世は…」で始まる俳句とも短歌ともつかない一句が届いた。

 うまいものだと、感心させられた。が、残念なことにその下の句をすっかり忘れてしまった。ただ、「俺には到底詠めない」と思ったことだけは、不思議に頭に残っていた。

 そんな思いが強かったのか、夢と現の狭間で、お返しの句を作っていた。

 「永き夜は

  永き世の外に

  出でもみよ…」

 

 このあたりで夢の領域が随分狭くなっていたように記憶する。そして、続きは、

 「銀河の河原に星ひろい

  サクサクサクと星を踏み…」

 

 ここで完全に夢から覚めた。水を一杯飲んで、しつこく続きを考えた。

 「星の流れを美ともせず

  思いはるけく辿りゆく

  そは いずれの国へか

  いずれの女人へか」

 

  ここで、タバコをやりたくて中断。

  性懲りもなく、また続ける。しかし、段々つまらないものになる。

 「遠きに音あり

  そが 何か確かめもせず

  銀の河原を歩みゆく」

 

もう、どんなものになるか、斟酌せず乱暴に

 「永き夜に 

  永き世に帰るあてなく

  一人ゆく

  河原の輝き 美ともせず」

 

 中の娘の相手は、この返事をどんなように読んでくれるか? 『ナンダこれはツマラン』で終わるとは思っているが…。

  

2016年8月 2日 (火)

仏像拝観

仙台に住むメル友が、大和の仏像を拝観したい、ついては、その案内役を引き受けて欲しいと言ってきた。

 

ルートはお任せするが、斑鳩中宮寺の弥勒菩薩は是非加えてくれ、時期はポスターで知った『素顔の大和路』の寒い時期が良いと言う。

そこで、手のあく二月十三、四、五日を選んだ。

 

彼女はあまり細かい古代史には不案内ゆえポピュラーなスポットということで、大和路を代表する西の京の薬師寺、唐招提寺、少し足を伸ばして斑鳩の法隆寺と、ご注文の中宮寺を初日のコースとした。翌十四日は飛鳥。最後の十五日は、桜井の聖林寺。この寺の十一面観音さんは、彼女に拝観して欲しい天平仏だった。そこから大神神社を軸にした山の辺の道を歩いてみようと考えた。

 

一日目を無事終えて、彼女の宿舎近くで、慰労をかねた食事会となった。多少はイケルくちの彼女は、うっすら頬を染めて、その日の仏さまめぐりの余情にひたっているようだった。

そんな彼女が、言葉少なに、「仏像には二種類あるんですね」とつぶやいた。

面白い意見だと話の続きを促すと、彼女はトツトツと話し始めた。 「中宮寺の弥勒さまは、思っていた以上に清々しく、頬に軽く触れるような右手の指先、その掌の清楚な膨らみ、繊細な指、肩から流れ下るような上半身の曲線。そのお顔には微かなはにかみを含んだ微笑みを湛えておられました。まさに『聖女』でした。畳に座して拝観しているうちに、私の心が空っぽになっていくのを感じました。そして、その空っぽになった心を爽やかな風が吹き抜けるのを覚えました。私は、この弥勒さまの前で、生まれかわる気がしました。

 

彼女はゆっくりそれだけを言うと、焦点を遠くにした目になって、心にのこる感動に浸っていくように見えた。

しばらくして、もう一つの仏さんは? と声をかけると、しばらくおいて、我にかえった彼女は、法隆寺の百済観音さんのことを話し始めた。

百済観音さまは、随分背丈があり、少し視線を上げると、あの繊細優美な手指が私をとらえました。次は、流露な衣の線、その流れの美しさを心ゆくまで目で辿りました。そこから目を上げて、お顔を拝しました。しばし、お顔を見つめていると、観音さまが私に何か話しかけておられるのを感じたのです。仏さまが、話しかけられるのを知ったのは初めてのことでした。私はその時、私が観音さまを拝観しているのではなく、観音さまが私に優しく目をかけて下さっているのに気付いたのです。

そして、そのお言葉が聞こえるように心を澄ましました。

『あなたが歩んできた、そして、歩んでいこうとする道は、それだけで貴いものです。なにがあろうと、すべて恕します』と聞こえたと、これもトツトツと彼女は語った。

お姿を拝むだけで、沈黙のうちに心洗ってくださり、心新しくして下さる仏さまと、私が生きてきた道、また生きようとする道を温かく見守り、それでいいのですよと、うなずいて下さる仏さま。

「私は心を深くする時をもらった」と、彼女は結んだ。

 

わたしはこの話を聞きながら、遠い国の二つの女人の名画を思っていた。一つは前に立つだけで、心の底まで見通し、微笑みかける。もう一つは、前に立つ者に語りかけるもの。ただ、後者はその語りかけに『全てを恕るす』という言葉は無い気がする。不思議に悲しみを湛えた口元が優しいが…。

 

もう遅くなっていた。明日の大和路めぐりのために、休養を欲しがる時刻になっている。彼女を宿舎まで送って、さて、明日の飛鳥路、次の聖林寺詣で、彼女はなにを見つけてくれるか?

そんなことを思いながら好天続きを約束する星空を仰ぎながら帰途についた。

 

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