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2016年8月 2日 (火)

仏像拝観

仙台に住むメル友が、大和の仏像を拝観したい、ついては、その案内役を引き受けて欲しいと言ってきた。

 

ルートはお任せするが、斑鳩中宮寺の弥勒菩薩は是非加えてくれ、時期はポスターで知った『素顔の大和路』の寒い時期が良いと言う。

そこで、手のあく二月十三、四、五日を選んだ。

 

彼女はあまり細かい古代史には不案内ゆえポピュラーなスポットということで、大和路を代表する西の京の薬師寺、唐招提寺、少し足を伸ばして斑鳩の法隆寺と、ご注文の中宮寺を初日のコースとした。翌十四日は飛鳥。最後の十五日は、桜井の聖林寺。この寺の十一面観音さんは、彼女に拝観して欲しい天平仏だった。そこから大神神社を軸にした山の辺の道を歩いてみようと考えた。

 

一日目を無事終えて、彼女の宿舎近くで、慰労をかねた食事会となった。多少はイケルくちの彼女は、うっすら頬を染めて、その日の仏さまめぐりの余情にひたっているようだった。

そんな彼女が、言葉少なに、「仏像には二種類あるんですね」とつぶやいた。

面白い意見だと話の続きを促すと、彼女はトツトツと話し始めた。 「中宮寺の弥勒さまは、思っていた以上に清々しく、頬に軽く触れるような右手の指先、その掌の清楚な膨らみ、繊細な指、肩から流れ下るような上半身の曲線。そのお顔には微かなはにかみを含んだ微笑みを湛えておられました。まさに『聖女』でした。畳に座して拝観しているうちに、私の心が空っぽになっていくのを感じました。そして、その空っぽになった心を爽やかな風が吹き抜けるのを覚えました。私は、この弥勒さまの前で、生まれかわる気がしました。

 

彼女はゆっくりそれだけを言うと、焦点を遠くにした目になって、心にのこる感動に浸っていくように見えた。

しばらくして、もう一つの仏さんは? と声をかけると、しばらくおいて、我にかえった彼女は、法隆寺の百済観音さんのことを話し始めた。

百済観音さまは、随分背丈があり、少し視線を上げると、あの繊細優美な手指が私をとらえました。次は、流露な衣の線、その流れの美しさを心ゆくまで目で辿りました。そこから目を上げて、お顔を拝しました。しばし、お顔を見つめていると、観音さまが私に何か話しかけておられるのを感じたのです。仏さまが、話しかけられるのを知ったのは初めてのことでした。私はその時、私が観音さまを拝観しているのではなく、観音さまが私に優しく目をかけて下さっているのに気付いたのです。

そして、そのお言葉が聞こえるように心を澄ましました。

『あなたが歩んできた、そして、歩んでいこうとする道は、それだけで貴いものです。なにがあろうと、すべて恕します』と聞こえたと、これもトツトツと彼女は語った。

お姿を拝むだけで、沈黙のうちに心洗ってくださり、心新しくして下さる仏さまと、私が生きてきた道、また生きようとする道を温かく見守り、それでいいのですよと、うなずいて下さる仏さま。

「私は心を深くする時をもらった」と、彼女は結んだ。

 

わたしはこの話を聞きながら、遠い国の二つの女人の名画を思っていた。一つは前に立つだけで、心の底まで見通し、微笑みかける。もう一つは、前に立つ者に語りかけるもの。ただ、後者はその語りかけに『全てを恕るす』という言葉は無い気がする。不思議に悲しみを湛えた口元が優しいが…。

 

もう遅くなっていた。明日の大和路めぐりのために、休養を欲しがる時刻になっている。彼女を宿舎まで送って、さて、明日の飛鳥路、次の聖林寺詣で、彼女はなにを見つけてくれるか?

そんなことを思いながら好天続きを約束する星空を仰ぎながら帰途についた。

 

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