« 2016年8月 | トップページ | 2019年8月 »

2016年9月

2016年9月14日 (水)

特攻隊長岩本益臣

 東大寺戒壇院の四天王像を知ったのは中学生時代であった。以来数十年、脳裏から消えることはない。特に広目天像は時として眼前に浮かんでくる。憚ることのない視線。その視線を、しかし、まともに受けたことがない。受けられないのだ。幾度かはこの広目天像の正面に立ってはきたが、その都度相手にされず弾き飛ばされるばかりである。もう、そろそろ対峙できてもと思うが、やはり駄目。このままだと、生涯、真正面に立つことはできないのではないかと思えてくる。何時かきっとと思うだけで、確かな見込みはない。

 話はかわるが、毎日買い物に行くスーパーの隣に古本屋が店をだす。自転車で通りかかるくらいだが、時々は立ち寄ってみる。と、言っても店内の値のはるものには手が出なくて、店頭に並ぶ捨て値のものが専ら。

 ゴッホの展覧会場で売られたと思える分厚いカタログ本百円、シルクロードの文物展のこれも立派ではあるがカタログ本、これも百円。掘り出し物と思ったのは岩波古典文学大系の今昔物語一~五の全巻、五冊で五百円だったことだ。ちらっと見て、一冊五百円と思った。それでも安い。ただこの今昔物語は四と五をすでに持っていたので、店の主人に一~三だけ売ってくれないかと頼むと、安くしているのだから、それは出来ないとのこと。まあいいかと、千円の無駄を見込んで買うことにした。ところが、二千五百円を机に置くと、主人が怪訝な顔をする。不満でもあるのかと訝ると、二千円を返しながら、「五冊で五百円」とぶっきらぼうに一言。この五冊は今、私の本棚の一角に並んで、読み物になったり、ちょっとした資料にもなったりしている。

 数日して、例によって、自転車に跨がったまま店頭にあまり丁寧とはいいがたい並べ方をされている古本を見回し、『一億人の昭和史』という、週刊誌より紙質もよく分厚いグラビア本を目にした。自転車を降りて、パラパラやると、「毎日新聞社、昭和五十六年発行」とある。裏表紙には、メガネの「HOYA」の広告があり、モデルにプロ野球のオールドファンには懐かしい「別当薫」が登場していた。手にしたのは、「太平洋戦争 死闘1347日」とある。掲載写真は豊富で、日本にあるものばかりではなく、アメリカの資料なども使用している。京都生まれの京都育ちで、戦災、特に空襲など実際には目撃したことがない者には、「空襲・敗戦・引揚」や「日本占領 ゼロからの出発」などが目新しく三冊を買うことにした。計三百円。

 枕元に置いて、就寝前の小一時間ほどページをくっている。

 「太平洋戦争…」のには、「死を賭けた青春」と副題があり、特攻隊員の姿を飾らず気取らず掲載。その一葉に、特攻機に搭乗する兵士の写真を見つけた。説明に戦死前日の陸軍特攻隊万朶隊飛行隊長・岩本益臣大尉(一九年一一月五日 比島リバ飛行場)」と書く。魅せられたのは、大尉の顔立ち。死出の時の表情には違いないが、静かである。凛とした目鼻立ち、結んだ口元。死を目前にして、全ての思い、両親、家族、そして若い隊員たちへの惜別、惜情、さらにはみずからの命のこと、日本の国のこと、それだけでは言い尽くせない思い、それら全てを懐、心の裏にして、しかも視線は濁ることなく澄明、水平線の彼方、いやそれさえ突き抜けてさらに遠く遠くへ届かせている。その姿に、心騒がぬ静かな「感動」をもらった。

 そして、この目をもってすれば、あの広目天像に対峙出来ると思った。「対峙」はなお言葉が卑しい、なんだかそんな言葉を使うのが恥ずかしい気がした。

 

2016年9月 4日 (日)

復 讐

 珍しく中田の姿がなかった。

 「今日、中田は顔を出さないつもり?」とヒロ子さんが出してくれたおしぼりで、ひといきついて、

 「今日はいつもとぎゃく、熱燗から始めようか」と注文した。そして、

 「ママさんの姿も見えないね」

 「伯母ちゃん、今日はお出かけ」

 「珍しいね。デート!? に出掛けた」と軽く言うと、

 「内緒だけれど、実はそうなの。ちょっとおめかしして、ヒロちゃんお願いねって出掛けた」と、なんだかくすぐったそうに、クツクツと笑う。

 「まぐろが旨そうだな。それと、湯豆腐をたのもうか」と、チビリチビリやり始めたところへ、中田が縄暖簾をくぐってきた。

 「川口、早いんだな。俺は道で本屋に寄っていたんだ。子供のころに読んだ物語の大人向けのを買い直して、ちょっと調べてみたいことがあったんだ」と手に持った文庫本をテーブルにポイッと置いた。アレクサンドル・デュマの『モンテクリスト伯」最終巻の(七)であった。

 「こんな西洋の小説を、中田が読むのを初めて見た。どういった風向き?」

 「ちょっと確かめたいことがあって。買った後、ざっと目を通していたんだ」と言いながら、

 「熱燗か! いいな。俺もたのもう」と、注文。

 ヒロ子さんは、徳利と猪口を出しながら、

 「その小説、中学の時読んだ。凄まじい復讐劇にドキドキしたのを覚えている」

 中田はそれに応えるように、

 「小学校時代、同じクラスにトクチャンという友達が居た。トクチャンは男四人兄弟の末っ子だったが、その一番上の兄さんは外国航路の航海士。早くて半年、長ければ一年以上経たなければ、帰ってこなかった。そして、帰ってくる時はいつも、少年少女向けの世界名作全集五冊が土産だった」

 「そのトクチャンの話は一度聞いたことがあったな」と言うと 「小学校通じての親友だったから、思い出も多く、飲む席で喋ったんだろう」

 「そのトクチャンとモンテクリスト伯とどんな関係があるんだ?」

 「当時、あれは五年生の一学期だった。トクチャンがかなり揃っている全集から、『これ貸したるわ』と手渡してくれたのが『モンテ・クリスト伯』を子供向けに翻訳した『岩窟王』という本だった」

 「岩窟王! 懐かしいなあ。宝島、三銃士、十五少年の漂流記…」

 「わたしも小公子や、乞食と王子なんか読んだ。中学時代だったけど…」

 「それで、今日は何をたしかめた?」

 「覚えているか? モンテ・クリスト伯爵と名乗っていたエドモン・ダンテスが全ての復讐を果たして、帆船で水平線のかなたに遠ざかっていくラスト・シーン。『…水平線のかなた、空と地中海とを分かっている濃紺の線の上、鴎のつばさほどの白帆をみとめた』。トクチャンに借りた『岩窟王』ではこのように書かれていたかどうか、思い出せないが、帆船で水平線のかなたへ消えていくのは同じだったように思う」

 「美しくて悲しいシーンというのは、今も思い出せる」とヒロ子さんは、目線を挙げて遠くをみるような仕草をした。

 「それをたしかめていたのか?」

 「たしかめたかったのは、帆船の遠ざかるシーンではなくて、小学生だった俺は、そのシーンで復讐を終えたモンテ・クリスト伯爵は最後に自殺したと思いこんでいたのだ。それ以来、復讐は復讐する人間の死をもって完結すると考えていた。それで、エドモン・ダンテスである伯爵は本当に自殺したのかをたしかめてみたくなったのだ」

 「自殺したとは書いてなかったわけか!」と言うと、ヒロ子さんが、

 「でも、鴎のつばさのような帆船が濃紺の水平線に消えて行くのは、死を意味しているようにも読めるわね」と反論した。

 「そうか、なるほどな…。話は急にかわるが、この前、テレビで赤穂四十七士の忠臣蔵をみた時、敵討ちを遂げた四十七士に再仕官の話があった。それを全て断って、全員自害する。それをみて、なにかすっきりするものを感じた。中田の言う、復讐の完結がそこにあったからだった? あのすっきり感はそんなところによったとも言えるのか?」

 「でも、それって小学校の五、六年生の時の感想でしょう。それから四、五十年。ずうっと思いつづけていたって、中田さんすごいというか、しぶといというべきか。ちょっと怖いところがある」

 「怖いことはないだろう。だれだって、大人になっていっかどのことを言ったり、考えたりするけれど、その原点は、若いそのころあたりにあるのとちがうか?」

 三人の話はここで次の話題にうつった。

 中田が、灘の酒蔵を見学、そこで試飲した銘酒の旨さを自慢し始める。ヒロ子さんは、新しく暖簾をくぐってきたお客さんの方へ移動してしまった。  

 

« 2016年8月 | トップページ | 2019年8月 »