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2016年9月14日 (水)

特攻隊長岩本益臣

 東大寺戒壇院の四天王像を知ったのは中学生時代であった。以来数十年、脳裏から消えることはない。特に広目天像は時として眼前に浮かんでくる。憚ることのない視線。その視線を、しかし、まともに受けたことがない。受けられないのだ。幾度かはこの広目天像の正面に立ってはきたが、その都度相手にされず弾き飛ばされるばかりである。もう、そろそろ対峙できてもと思うが、やはり駄目。このままだと、生涯、真正面に立つことはできないのではないかと思えてくる。何時かきっとと思うだけで、確かな見込みはない。

 話はかわるが、毎日買い物に行くスーパーの隣に古本屋が店をだす。自転車で通りかかるくらいだが、時々は立ち寄ってみる。と、言っても店内の値のはるものには手が出なくて、店頭に並ぶ捨て値のものが専ら。

 ゴッホの展覧会場で売られたと思える分厚いカタログ本百円、シルクロードの文物展のこれも立派ではあるがカタログ本、これも百円。掘り出し物と思ったのは岩波古典文学大系の今昔物語一~五の全巻、五冊で五百円だったことだ。ちらっと見て、一冊五百円と思った。それでも安い。ただこの今昔物語は四と五をすでに持っていたので、店の主人に一~三だけ売ってくれないかと頼むと、安くしているのだから、それは出来ないとのこと。まあいいかと、千円の無駄を見込んで買うことにした。ところが、二千五百円を机に置くと、主人が怪訝な顔をする。不満でもあるのかと訝ると、二千円を返しながら、「五冊で五百円」とぶっきらぼうに一言。この五冊は今、私の本棚の一角に並んで、読み物になったり、ちょっとした資料にもなったりしている。

 数日して、例によって、自転車に跨がったまま店頭にあまり丁寧とはいいがたい並べ方をされている古本を見回し、『一億人の昭和史』という、週刊誌より紙質もよく分厚いグラビア本を目にした。自転車を降りて、パラパラやると、「毎日新聞社、昭和五十六年発行」とある。裏表紙には、メガネの「HOYA」の広告があり、モデルにプロ野球のオールドファンには懐かしい「別当薫」が登場していた。手にしたのは、「太平洋戦争 死闘1347日」とある。掲載写真は豊富で、日本にあるものばかりではなく、アメリカの資料なども使用している。京都生まれの京都育ちで、戦災、特に空襲など実際には目撃したことがない者には、「空襲・敗戦・引揚」や「日本占領 ゼロからの出発」などが目新しく三冊を買うことにした。計三百円。

 枕元に置いて、就寝前の小一時間ほどページをくっている。

 「太平洋戦争…」のには、「死を賭けた青春」と副題があり、特攻隊員の姿を飾らず気取らず掲載。その一葉に、特攻機に搭乗する兵士の写真を見つけた。説明に戦死前日の陸軍特攻隊万朶隊飛行隊長・岩本益臣大尉(一九年一一月五日 比島リバ飛行場)」と書く。魅せられたのは、大尉の顔立ち。死出の時の表情には違いないが、静かである。凛とした目鼻立ち、結んだ口元。死を目前にして、全ての思い、両親、家族、そして若い隊員たちへの惜別、惜情、さらにはみずからの命のこと、日本の国のこと、それだけでは言い尽くせない思い、それら全てを懐、心の裏にして、しかも視線は濁ることなく澄明、水平線の彼方、いやそれさえ突き抜けてさらに遠く遠くへ届かせている。その姿に、心騒がぬ静かな「感動」をもらった。

 そして、この目をもってすれば、あの広目天像に対峙出来ると思った。「対峙」はなお言葉が卑しい、なんだかそんな言葉を使うのが恥ずかしい気がした。

 

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