« 2016年9月 | トップページ | 2020年7月 »

2019年8月

2019年8月 2日 (金)

ラッキョウ騒動

 気兼ねなく付き合っている吉村と、窓から、緑をふかめる高円山が望める、いつもの喫茶店で寛いでいると、
「とんでもない問題をもちこまれた」と、グチリ出した。


 吉村の話では、大和路ウオーク仲間、男女三人ずつ六人が散策の後、気楽にビールがやれる立ち飲み処でワイワイやっていた。すると、どこからそんな話題になったのか、急に〃ラッキョウが好きと、嫌い〃派が三対三に分かれて、ああだ、こうだと言い始めたらしい。しかし、此の勝負は決着がつかず、それではと、それぞれの派が、好きな人と嫌いな人の頭数の多少で決着をつけようと、暖簾をくぐってくる見も知らないお客さんにまで「ラッキョウ、好き、嫌い」と声をかけだした。あまり物おじしない吉村も、『エエッ! ちょっとやりすぎ』と驚いた。ところが、入ってきた女性の三人組など、唐突で不躾な問いかけにもかかわらず、即座に「好き」「嫌い」と応えたという。こんな無茶を繰り返したが、勝負はつかなかった。〃好き〃と〃嫌い〃がほぼ半々の結果になったらしい。


 〃嫌い〃派はそれでは納まらず、
「吉村、お前ラッキョウについて、あの気味の悪い字と、ラッキョウという言葉の語源を調べろ」と、嫌い派の旗頭が言い出した。なんでもその男が言うには、〃薤〃の草冠りはよいとして、歹は『悪いとか、肉を削ぎ落とした骨片』の意味があり、それに加えてニラ〃韭〃という字が合わさっている。この字を思いだすだけでも寒イボが立つと。
「それで、調べたのか?」
「ああ、調べているうちに、興味が沸いてきて図書館通いをした」 「どんなことになった? 聞かせろよ」と注文をだすと、吉村は待ってましたと言わんばかりに、成果を披露し始めた。


 吉村の話を要約すると、まず文字。〃薤〃をラッキョウとよむのは、訓読みではない。手元にある江戸時代の中頃に出た百科事典『和漢三才圖会』の、匂いのある草をいう葷草の欄に〃薤〃があり、〃おふにら〃と訓み仮名がつき、次の〃水晶葱〃に〃らつきよ〃とあった。ただこれだけでは、もう一つ解らないと考えていたが、翌朝目を覚まして、図書館の開架の一角に、文献を網羅する『古事類苑』という百科事典があったのを思い出した。見出し語の解説にはすべてその出典名があり、その説明は資料をそのまま抜き書きしている。その植物部、草の項に〃薤〃を見つけた。 「それで、ラッキョウについて判明した?」
「問題は残ったが、おおよそのところはナ。まず〃薤〃という文字だが、薤という一文字をラッキョウと読むのは、訓読みでも音読みでもないことがわかった」
「訓読みと音読み以外に、読み方がある? はじめて聞くことだ。それはいったい何だ」
「一般に造語や造字、国字というのは知ってるだろう。榊など日本で造った国字。その伝でいくと〃薤〃をラッキョウと読むのは、造読み、国字式に言えば国読みだよ」
「それも初めて聞く言葉だナ」
「薤は中国音で〃カイ・ガイ〃とか〃ケイ・ゲイ〃としか発音しない。ラッキヨウなどと一字で二音読みする漢字はみあたらないよ」
「じゃあ、薤をラッキョウと日本読みしたのは? …どうかんがえても音読みに思えるが…」 
「日本の訓読みは、いずれも平安時代前半に出たもので、漢和辞典『新撰字鏡』というのと、薬用になる植物を書いた『本草和名』があった。それらには、いずれも〃薤〃を奈女彌良(なめみら)とか、於保美良(おほみら)と読んでいる。これが訓読みだろう」 「じゃあ、一体ラッキョウと読んだのはいつ頃?」
「新撰字鏡や本草和名の少し後に出た『倭名類聚抄』簡単に和名抄と呼ぶのには、本草和名を引用、奈女彌良と読んでいる。それから以後、西暦1700年の直前までラツキヨウと書いたものは無い」
「平安時代はミラか! ニラとは言わなかった?」
「平安時代の後半にでた〃類聚名義抄〃にオホミラやナメミラに混じってニラが登場している。ミラとニラは音が通じたようだ」
「そうなると、ラッキョウと、はっきり読んだのは、いつごろからなんだ」
「元禄というから、江戸時代。その十一年(一六九八)に成立したらしい『書言字考節用集』という辞書に〃薤〃にラツキヨウ、ヤブニラ〃と振り仮名をしている」
「しかし、平安時代前半から、江戸時代の元禄では八百年前後の時間差がある。いつ薤をラッキョウと読んだか、ちょっとボヤケタ話になるな」
「実はそうなんだ。『古事類苑』では、そこまでしか解らない。残念ながら」
「なんとかならないのか。なにか資料がありそうだが…」
 この日の話はここで終わった。それから一週間後の午後、例の喫茶店で、仕事疲れをコーヒで癒していると、吉村が何を気にしてるのか、後を振り向き振り向き店の扉を開けた。
 聞いてみると、子犬とじゃれあっていた幼児が尻餅をついて泣き出したらしい。その泣き顔が可愛いと、吉村自身邪気のない表情で話した。
「ところで、ラッキョウの方はどうなった?」
「学生の頃、ちょっと参考にページを開いたことがある日葡辞書、ニッポ辞書と読むが、日本語をポルトガル語に訳した辞書があるのを思い出した」
「どうだった。何か発見があった?」
「裏側からの発見があった。この辞書は江戸幕府が開かれたのと同じ頃、一六〇三~四年にポルトガルの宣教師たちが作っている。これには〃ラッキョウ〃の項目が無かったNiraやNinnicu、ニラ、ニンニクはあるのに…。ただRacqioという見出し語があり、期待したが、これは日本語で書くと〃楽居〃のこと。煩わしいことがなくなり、解放された状態で居ることだった。この辞書はかなりの日本語を収録している。いわゆる卑語まで収めている。それを考え合わせると、Racqioの項目があるくらいだから、当時、一般にラッキョウという言葉が日本でつかわれていたら、当然、収録されたと考えて大過ないだろう。と考えると、一六〇三~四年にはまだラッキョウという言葉は一般には使われていなかったことになる。使われたと判断できる資料は、もう百年近く後、一六九七年頃にでた食べ物の事典『本朝食鑑』の〃羅津岐與(ラツキヨ)〃や『農業全書』の〃らつけう〃まで待たねばならない」
「そうか! ただ、その場合でも百年近い時間差があり、もうひと苦労というところか! 時間がかかりそうだナ。なんだか、海図を持たず大海原へ乗り出すような話になってきた」
「そうだ。言葉のルーツを探すのって、興味はあるからやっているが、簡単ではない。好き嫌いと主張する連中に一杯おごらせたい気持だヨ」
「ところでこんな事、参考にはならないだろうが、図書館を覗いたついでに、『日本国語大辞典』と『大漢和辞典』を調べてみた」 「成る程、解らない時は、単刀直入、相手の臍を狙えか。で、どうだった?」
「国語辞典の方はラッキョウに漢字の辣韮、辣韭、薤があててあった。辣の字にであうのは初めて。で、早速、漢和辞典で〃辣〃の項をしらべてみた。辣韮、辣薤。辣薑があり、皆ラツキヤウと読みがついていた。目を次の見出し語へ移すと、〃辣根〃があり、〃わさび、山葵〃。次の〃辣菜〃には、〃禅家にて漬物をいふ〃とあった。この禅家、僧侶のことだろう?」
「禅宗の坊さんだ。なんだか見えてくるものがあるナ!」
「そうだろう。〃薤〃を〃おおみら〃と訓読みしていたのを、中国に辣薤という言葉があることから、薤一字で、ラッキョウと読んだ。漬物を辣菜などと、ちょっと気取った言いかたをしている坊さんだけに、薤一字にラッキョウと読みをつけた疑いは充分にありそうだろう」
「とすると、江戸時代になって、坊さん仲間でつかっていた読み方が外へ出て、一般に使われだしたことになる。これに似たことがあるよナ。二上山がそうだ。もとは〃ふたがみやま〃だったのを、当時ではインテリだった坊さん達が、〃ニジョウザン〃と音読みした。これなど本居宣長は、けしからんと怒っている」

 話はここで一段落。吉村は冷えたコーヒを一気にのみこんで、一息つき、
「ラッキョウ好き人間が、手をたたいて喜ぶことが、『農業全書』に書かれていたよ」
「……………………?」
「〃…味少し辛く、さのみ臭からず、功能ある物にて、人(体の欠陥)を補ひ温め、又は学問する人つねに是を食すれば神(思いおよばない域)に通じ、魂魄を安んずる物なり〃と。つまり、身体の弱っているところを治し、体を温め、頭をスッキリさせ、思いも及ばない能力を得て、かつ精神が安定すると言うわけだ」
「現在の、その手の薬効宣伝をはるかに越える効能書きだ。本当かよ!」
「よく解らん。まるでラッキョウ信仰のお経のようで、調子良すぎるよな」
 話し終わった吉村は自らが紹介したものに、フーンそんなものかという顔をした。その表情から、彼はラッキョウ大好き人間というわけではない、と思えた。しかし、それは言わなかった。

 

« 2016年9月 | トップページ | 2020年7月 »