超短編「縄暖簾シリーズ」

2022年6月21日 (火)

川口の万葉語り

開店そうそうの客が三人減り、一人去り、二人が出て行きママさんもヒロ子さんもひと息いれているところへ、川口が暖簾を分けて、いつもの呑気を絵に描いたような顔ではいって来た。
「今晩は!」
「いらっしゃい川口さん。この前の台風大丈夫でしたか?」とヒロ子さん。
「大丈夫だったけど、京都あたりは屋根瓦が飛んだりしたと、ニュースでやっていた。もちろんヒロ子さんもママさんところも大丈夫だったのでしょうね」に、ママさんが、
「少し風は強かったが、台風というより、天気が変わる時の風のようで迫力なかった」と涼しい顔。
「風が吹いているさなかに、中田に電話をいれると、〃ただ今、風見酒。木々がまるで喜んでいるように揺れはしゃいでる〃と京都の人が聞いたら怒りそうなことを言ってたよ」
「雪見酒は聞いたことあるけど、風見酒なんて聞き始め」とヒロ子さんが、笑い声を挙げているところへ、中田が、
「今晩は」と顔を出した。


「中田さん、この前の台風の時、風見酒だったんですってね」とママさんが挨拶がわりに声をかけた。
「マンションの三階を越える落葉樹と、少し低い桜並木が、あんなに喜ぶ姿、初めてだった。川口センセイはどうだった?」と中田が、川口へ話題を振ると、
「ちょっと調べ物をしていた。万葉集と、奈良時代を記録した続日本紀を突き合わせていた」
「それは高尚ナ。私メの風見酒とは雲泥の差。その成果を御披露願いたい。ママさんどう?」
「賛成。ヒロちゃんは?」
「勿論賛成!」
だろうという目で中田が川口に、始めろよと合図。それではといつもの川口の万葉語りが始まった。


「巻十五の巻頭の百四十五首は、第十五次遣新羅使がその行路で詠んだ歌が、物語り風に構成されているんだ。この遣新羅使は、天平八年(七三六)二月に阿倍継麻呂が大使に任命され、四月に拝朝しているから、その後間もなく出航していると考えられる」
「随分多くの人が船に乗り込んでたんでしょうね」とヒロ子さん。 「遣唐使のばあい漕ぎ手である水手も含め一船に百二十~六十人が乗っていた。それに近かったと思える」
「小さい船に鮨詰め!」とママさんが驚く。


「この船が難波津から瀬戸内海を経て、那大津(博多)そして、壱岐、津(対)島と辿っていくが、航路の島々の名前などが克明に書き出されているよ」
「千二百年以上前だから、今の地名とはだいぶちがったでしょうね」とママさん。


「それがそうでもないんだ。違うのもあるが、今と同じ地名もおおい。まず武庫の海が登場、武庫は今も武庫川に名前がのこる。明石、長門。家島は牡蛎で有名な坂越の沖合に今も家島諸島が浮かぶ。倭奴国王という金印がでた福岡の志賀島をいう志賀、松浦、津島など同じ地名で登場している」
「その遣新羅使は、うまく役目を果たし、無事帰国できたんでしょうね?」とママさんは、飲み助二人らからちょっと離れたところで、心配顔をした。


 話はここで一段落。喋りすぎた喉を潤すために、川口はビールのお代わりを注文。旨そうにビールを飲み干す川口を横目に中田が、『それからどうなった』と、目で合図する。

 
「それがうまく行かなかった。新羅へせっかく海を越えて使いしたのに、新羅は使節団を追い返すような仕打ちだったと帰国した遣使が、報告している」
「苦労して新羅まで行ったのに、相手にされなかったなんて…」とママさん。


「無礼と怒る者、その訳をただせとか兵隊をだして新羅を征伐なんて声もでたようだ」に、中田が、
「そんなに日本と新羅の間には溝があったのか?」


「新羅は六六〇年代に唐の力をかりて、朝鮮半島を統一していた。しかも、その後新羅を管理監視していた唐軍、当時の唐帝国は回りの国々を鼠とすれば、巨象のような存在だった。その唐の軍隊を新羅は独力で追い返したんだ。次はその兵力で日本を攻めてくるという、危機感が充満していた。それから約六十年後の遣新羅使であったが、新羅は対唐一辺倒で日本など相手にはしなかったようだ。当時の新羅の王は聖徳王と書きソンドクワン、唐はあの名高い玄宗皇帝だった」
「今日の万葉語りは歴史編というところ?」と中田が合いの手をいれた。
「本当、なんだか難しい」とママさん。


「いいえ、歴史語りではありません。次に紹介する歌はそれ以後の古今集や新古今集にはみられない、万葉集独自の世界です」に、ヒロ子さんが、
「わたしは、川口さんのお話しに最初からずっと期待しています。川口さん喉を潤して、続けてください」と、応援。このヒロ子さんの励ましに、ひと息ついた川口は、
「この遣新羅使の旅は、伝染病に苦しめられた。〃玉敷ける清きなぎさを 潮満てば 飽かず 我行く 帰るさに見む〃訳すると、こんなに清らかな渚であるが、潮が満ちてきて出帆しなければならない、いつまでも見ていたい。きっと帰りには目を楽しまそうとなる。ところがこの歌を詠んだ大使の阿倍継麻呂は帰路、津島で病没。副使の大伴三中は帰国はしたものの、病気で一カ月あまり平城の都へは入れなかった」
「新羅で病気をもらって来たんでしょうか」
「ところが、帰路の病没や病気ばかりではなかった。往路でも病没した人間がいた。きょう、登場させる雪宅麻呂、ユキノヤカマロがそれなんだ」


中田もママさんも、ヒロ子さんも川口の次の言葉をまった。
「船が山口と九州に挟まれた、下関手前の周防灘で逆風にあい漂流した。この時〃大君の命畏み大船の行きのまにまに 宿りするかも〃、大君の仰せをかしこみ、大船が漂い行くままに、船の中で浮き寝をして夜をすごす、と詠んだ雪宅麻呂であったが、その後に〃壱岐の島に至りて、雪宅麻呂(満)、たちまちに鬼病に遇いて死去」と書く。船上の遺体は航路近くの島などに埋葬したらしく、壱岐の島の端っこの石田野という所に埋葬している。これに対し同船した仲間の一人が〃石田野に宿りする君 家人の いずらと我れを問はば いかに言はむ〃と詠んでいる。帰朝した時、宅麻呂の家人、母親や妻が、宅麻呂はどこに居ます? 見かけませんでしたか、とわたしに問いかけたら、どうこたえよう。こたえられない…というのを見つけた」。
「………」。


川口の話がおわった後、しばらくはだれからも言葉がなかった。 
「なるほどなあ」と中田が口をきったが、だれからもそれに続く言葉はでなかった。そんな雰囲気を破ろうと川口が話し始めた。
「死んだり病気したりしても、正史に名前がのこる上級者はまだいい、いつ生まれいつ死んだかもわからない庶民や下級役人など、万葉集だからこそ書き止めている。ところが万葉集以後、歌集が貴族化、高尚化すると、もはや庶民の陰すらとどめない。万葉集が他を絶するところだ。……ますます万葉集にはまっていきそう」に、やっときもちを持ち直したヒロ子さんが、
「川口さん、もっと万葉集にはまって、わたしたちに歌の数々を話してください」と改めて注文。ママさんはと見ていると、無言のまま奥へ姿を隠した。と、中田が、
「きょうは酒をしみじみと味わおう」と、珍しく冷や酒、純米濃潤を注文した。

 

2021年1月27日 (水)

爽やかってどんなこと?

 お客さんが立て込んでいる間はおとなしく熱燗を口へ運んでいた川口が、お客さんの姿がまばらになりだすと、ヒロ子さんに話しかけた。
「ヒロ子さん、爽やかという言葉を聞いてどんなことをイメージする?」と。猪口を口へはこんでいた中田はなんのことかという顔をして、
「川口センセイ、今日はまた、異な質問を始めましたな」と、口元をニヤニヤさせる。比べてヒロ子さんは真顔の思案顔で、
「やはり、五月、初夏の涼しい風、あっ、夏の朝風もある。おばちゃんはどう思う」とママさんの方を振り向いた。
「わたしは、スッキリした男性、言葉も姿も…。なにかで読んだのに、そんな男性が側を通りすぎると涼し気な風を感じるとあった」
「おい、川口。そんな奴とわれわれが比べられると、小さくなっていなければならんな」と悔しそうな口ぶり。
「いいえ、お二人さんともそれなりに爽やかです」とママさんはすました顔で、二人を持ち上げる。
「まあまあ。ヒロ子さんもママさんのにも涼やかな風という言葉がでてきました。わたしもそれに賛成です。でもどんな辞書にも〃風〃のことには触れていないんだ」に中田も含め三人は、
「……?」という表情をした。

「国語辞典には、気分がよい、はっきりしている、新しくあざやかなどあり、漢字の辞書には爽の説明に〃あきらか、ほがらか〃などで風に触れた解説はみられなかった。それと驚いたのは爽には〃たがう〃という意味がある。〃爽信〃が例示してあった。約束に背くこととあった」。ふーんという顔をしていたヒロ子さんが、
「それじゃあ、英語はどうなるのかしら?」と。

「ついでだから、それもサッとしらべてみたよ。こちらは、ちょっとてまどったが…」と言いながら川口が話したおおよそは、英語ではリフレッシュにかかわる語であり、それには〃生きかえる〃とか〃回復する〃とあったらしい。説明をきいたヒロ子さんが、
「風という言葉は出てこないのですか?」と、応えた。

「そうなんだ。残念ながら、五月の風も、夏の早朝の風も出ていません」に、フンフンと頷いていた中田が、
「風、それも涼しい風を思い浮かべるのは、日本のような湿気の多い国特有の感覚かもしれない。湿気を吹き飛ばしてくれるからな」と、考え考え口にした。

「そうかもしれないと、わたしも考えていた。風らしいのが登場するのは、島崎藤村の『破壊』という小説で、何と言ったか、金之助か、いや銀之助だったかが文平というのと二人で、寺の一室に宿替えした丑松をたずねるくだり、〃冷々とした空気は窓から入って来て、斯の古い僧坊の内にも何となく涼爽(サワヤカ)な思(い)を送るのであった〃と、風ー空気の動きを書いている。でも、爽やかとは書くが、これはむしろ冷気。五月の風とはちょっと異質だ。

「本当にそう思われますね」とママさんは、何か思い出しながら口を挟んだ。
「ヒロちゃんが生まれたころにはもう居なかったけど、ヒロちゃんのおばあさん、わたしの母。夜寝る時には、必ず扇子を使っていたのよ。一年中。もちろんバタバタとはやっていなかったけれど」
「冬もだったんですか? 寒いのに」と、顔も知らない祖母を思い描く様子だ。

「そう冬も。〃お母さん寒くない〃ときいたんだけど、〃寒くない。こうやっていると気持ちが落ち着く〃と言ってた」に中田が、
「それを聞くと涼風による爽やかさは、単に体感だけではなく、もちろん視覚だけでもない。心にも感じさせるものがあることがよくわかる。涼風の爽やかさは精神の安定にもおおきい働きをする。気持ちのいい五月の風に吹かれると、身も心もグーッと背伸びがしたくなる。五月の風は爽やかさの代名詞のようなものだ。それをイメージしたヒロ子さんは花丸だ。日本の爽やかさだ。だから、われわれにとっては大正解ということになる。川口センセイ、これでよろしいか?」と、向き直った。

「そう! さすがわれらのヒロ子さんだ。それでは、ここで爽やかになるために、熱くなった胃袋に涼やかで爽やかなやつを送り込むビールといきますか。そして、ヒロ子さんと貴重な証言を頂きましたママに乾杯といこう」と、川口の声が弾んだ。

2016年9月 4日 (日)

復 讐

 珍しく中田の姿がなかった。

 「今日、中田は顔を出さないつもり?」とヒロ子さんが出してくれたおしぼりで、ひといきついて、

 「今日はいつもとぎゃく、熱燗から始めようか」と注文した。そして、

 「ママさんの姿も見えないね」

 「伯母ちゃん、今日はお出かけ」

 「珍しいね。デート!? に出掛けた」と軽く言うと、

 「内緒だけれど、実はそうなの。ちょっとおめかしして、ヒロちゃんお願いねって出掛けた」と、なんだかくすぐったそうに、クツクツと笑う。

 「まぐろが旨そうだな。それと、湯豆腐をたのもうか」と、チビリチビリやり始めたところへ、中田が縄暖簾をくぐってきた。

 「川口、早いんだな。俺は道で本屋に寄っていたんだ。子供のころに読んだ物語の大人向けのを買い直して、ちょっと調べてみたいことがあったんだ」と手に持った文庫本をテーブルにポイッと置いた。アレクサンドル・デュマの『モンテクリスト伯」最終巻の(七)であった。

 「こんな西洋の小説を、中田が読むのを初めて見た。どういった風向き?」

 「ちょっと確かめたいことがあって。買った後、ざっと目を通していたんだ」と言いながら、

 「熱燗か! いいな。俺もたのもう」と、注文。

 ヒロ子さんは、徳利と猪口を出しながら、

 「その小説、中学の時読んだ。凄まじい復讐劇にドキドキしたのを覚えている」

 中田はそれに応えるように、

 「小学校時代、同じクラスにトクチャンという友達が居た。トクチャンは男四人兄弟の末っ子だったが、その一番上の兄さんは外国航路の航海士。早くて半年、長ければ一年以上経たなければ、帰ってこなかった。そして、帰ってくる時はいつも、少年少女向けの世界名作全集五冊が土産だった」

 「そのトクチャンの話は一度聞いたことがあったな」と言うと 「小学校通じての親友だったから、思い出も多く、飲む席で喋ったんだろう」

 「そのトクチャンとモンテクリスト伯とどんな関係があるんだ?」

 「当時、あれは五年生の一学期だった。トクチャンがかなり揃っている全集から、『これ貸したるわ』と手渡してくれたのが『モンテ・クリスト伯』を子供向けに翻訳した『岩窟王』という本だった」

 「岩窟王! 懐かしいなあ。宝島、三銃士、十五少年の漂流記…」

 「わたしも小公子や、乞食と王子なんか読んだ。中学時代だったけど…」

 「それで、今日は何をたしかめた?」

 「覚えているか? モンテ・クリスト伯爵と名乗っていたエドモン・ダンテスが全ての復讐を果たして、帆船で水平線のかなたに遠ざかっていくラスト・シーン。『…水平線のかなた、空と地中海とを分かっている濃紺の線の上、鴎のつばさほどの白帆をみとめた』。トクチャンに借りた『岩窟王』ではこのように書かれていたかどうか、思い出せないが、帆船で水平線のかなたへ消えていくのは同じだったように思う」

 「美しくて悲しいシーンというのは、今も思い出せる」とヒロ子さんは、目線を挙げて遠くをみるような仕草をした。

 「それをたしかめていたのか?」

 「たしかめたかったのは、帆船の遠ざかるシーンではなくて、小学生だった俺は、そのシーンで復讐を終えたモンテ・クリスト伯爵は最後に自殺したと思いこんでいたのだ。それ以来、復讐は復讐する人間の死をもって完結すると考えていた。それで、エドモン・ダンテスである伯爵は本当に自殺したのかをたしかめてみたくなったのだ」

 「自殺したとは書いてなかったわけか!」と言うと、ヒロ子さんが、

 「でも、鴎のつばさのような帆船が濃紺の水平線に消えて行くのは、死を意味しているようにも読めるわね」と反論した。

 「そうか、なるほどな…。話は急にかわるが、この前、テレビで赤穂四十七士の忠臣蔵をみた時、敵討ちを遂げた四十七士に再仕官の話があった。それを全て断って、全員自害する。それをみて、なにかすっきりするものを感じた。中田の言う、復讐の完結がそこにあったからだった? あのすっきり感はそんなところによったとも言えるのか?」

 「でも、それって小学校の五、六年生の時の感想でしょう。それから四、五十年。ずうっと思いつづけていたって、中田さんすごいというか、しぶといというべきか。ちょっと怖いところがある」

 「怖いことはないだろう。だれだって、大人になっていっかどのことを言ったり、考えたりするけれど、その原点は、若いそのころあたりにあるのとちがうか?」

 三人の話はここで次の話題にうつった。

 中田が、灘の酒蔵を見学、そこで試飲した銘酒の旨さを自慢し始める。ヒロ子さんは、新しく暖簾をくぐってきたお客さんの方へ移動してしまった。  

 

2016年6月 5日 (日)

逆さに回る時計

 どんな話を中田がしていたのか、はっきりと思い出せない。しかし、どこかで見た日時計がどうとか言っていたようだ。ヒロ子さんはよく見かける、店の常連さんとなんだか楽しそうに笑い声を挙げていた。

 「中田、お前、こどもの頃、なにかを分解して叱られたことはなかったか?」 

 「姉が大事にしていたオルゴールをやったな。どうしたらあんな可愛い音が出るのか不思議で。叱られたというより、泣かれたのを思い出す。悪いことをしたと、思い出すたびに気持ちがシーンと沈む」と、言いながら熱燗をぐいっと飲みほし、気を取り直して、 

 「川口、お前はどうだ?」と問い返してきた。 

 「家に十㌢四方ぐらいの白い石、焼き物でなかったような気がするが、それに入れ込んだ置き時計があった。それを妹と二人で、解剖すると言いながら分解したことがある」 

 「時計の解剖か! フンフン」と、その後に続く笑える話を期待している様子。

 「小さなネジ回しを持ち出して、時計の裏側から開くのだ。なにが出てくるか、そばの妹まで目を輝かしていた。蓋をとると、まるで生き物のように小さな歯車、それよりすこし大き目の歯車がチッチと動いている。あれは、まさに生き物だったな。それから、わずかずつ歯車をはずしバネが見え出して手を止めた」 

 「はずした歯車はどうした?」 

 「一応、はずした順に並べはしていたが、元に戻すのは、大苦労だった。いたずらしているのを見つけられたら、大目玉を食らう。ちょっと焦ったよ。妹もそれが分かっているから、ものも言わずに手伝ってくれた。人間っておかしいところがあると、その時初めて知った。同じ苦境にいると、仲が良いとか悪いとかを越えて、同じ心境で結束するものなんだと思った」

 「それでどうした?」と、なにかを期待するような笑いを含んだ声で、先を促す。

 「分解するのに十分かかったとしたら、元に戻すのにその十倍もかかった気がする。それでやっと見た目には元の形になった。やれやれだった」 

 「一応、元通りになったか!?」となんだか残念そうに、徳利を空にして、 

 「ヒロ子さん、熱燗」と注文、それに合わせて、 

 「こちらも一本追加」と注文した。 

 「なにを話していたの、ニヤニヤしたり、汗をかきそうな顔をしたり」と、ヒロ子さんの目は、こちらにも届いていたようだ。 

 「こいつ、こどもの頃に時計を解剖したんだとさ」 

 「そんな衝動に駆られたこと、わたしにもあった。でも、解剖はしなかったけど」と話に加わってきた。 

 「でもなんとか、元へ戻したらしいんだ。ちょっとガッカリな話だったが…」に、ヒロ子さんが、 

 「中田さん悪人! 川口さんが失敗して泣きべそをかくのを期待してる」と、笑い顔でなじる。 

 「ところが、その次の日、妹が心配というか、不思議というか、とにかく冴えない顔付きで、『お兄ちゃん、時計逆さまわりしてる』と注進してきた。『?…?』だったよ。で、妹と頭を並べて、確かめてみると、秒針などない時計だから、しばらく見つめて、長針が十時のところから九時の方へゆっくり移動している。驚いたよ…」に、待ってましたとばかりに、中田が喜び始めた。 

 「ヨッ、話がオモシロクなってきた! ヒロ子さん。面白い話が始まるよ」と、掌を叩かんばかりのはしゃぎよう。そして、 

 「ハイ! 続き続き」と急がす。 

 「ヒロ子さん、聞いた? 中田の悪人ぶり」 

 「ワルガキ二人ってとこね。でもわたしも、続き続きって…」と、ワルガキの仲間入りをしてきた。

 「うまい具合に、その置き時計は床の間の隅っこにあり、だれにも気付かれずに済んだ。

家の者が頼りにするのは大きい柱時計があったから。その内、ゼンマイが伸び切ったのか自然にとまったから。残念でした。それ以上の事件にはなりませんでした」 

 「なんだかツマラナイ話ね」とヒロ子さんはヤジウマ根性を隠そうともしない。 

 「ところが、不思議な気持ちになった。時計の針が後へ後へ回るんだから。ちゃんと元通りになることを神頼みして夜十時に寝るだろう。ところが朝八時に時計の前に座ると、時計は十時間前の十二時なんだ。最初はえっ、二時間しか寝ていないと錯覚した。そのうちに、時計の前に座ると、過去へ過去へ進んでいくような気がしたんだ。最初はそう思った」 

 「なんだか芥川龍之介の『河童』みたいな話。あれ、読んだ?」と、ヒロ子さんがだれともなしに問いかけた。 

 「読んだ、というより、中学生の読書の時間に読まされた。あのどこが、教科書になったんだろう。いまだに理解できない」と中田。  

 「最初はその『河童』話のようなものを感じた。でも、しだいに違った感じがしだした。なんと言ったらよいのか? 難しいが…。明日の朝、目が覚めたら時計が正常に戻っていてほしいと神頼みをしたのが柱時計は午後十時。解剖時計では明日の朝八時。そこから七時、六時、五時…、そして、日を越えて、八時間後の今日の午前0時でもあるのだが、そこからさらに十一時と今の方へ動いてくるんだ。こちらからあちらへ柱時計は動いているのに、解剖した時計はあちらからこちらへ動く。そんな風に、その時感じた」と言うと、中田が、

 「アホな話だが、そんな風にも考えられるかもしれない。川口の家の柱時計は絶えず以前ー過去から今へ、そして今、いま、今と秒針が進む。対して解剖時計は、この先ー未来から動きだし、しかも、こちらも今、いま、今を繰り返す。両方の時計は常に『今』でぶつかっていると言うか、今というのが、過去からチクタクと登りつめた頂点であり、同時に未来からも、チクタクと坂道を登りきった頂点でもあることになる。か?」とつぶやいて、一人で頷いている。 

 「…過去が原因で今ー現在は結果とは聞いたが、未来が原因で現在があるとでも言いたげだな、聞き始めだ。もしそれが本当なら…、未来も過去ということになる? 未来という名の過去??」 

「なんだか、分かったような分からない話。頭がゴチャゴチャになるわね」とヒロ子さん。

中田は、むしろ深刻に、不思議な話を頭の中で反芻しているような顔付きをしていたが、残った酒をグイッと傾け、なおも黙んまりをきめこんでいる。ヒロ子さは、新たに暖簾をくぐって入ってきた二人組を迎えにそちらへ行った 

 「川口、お前の変人ぶりは、その頃からのものか? 一人旅に出るのに時計も持たずに」 

 「……? そうかな。でも俺はお前ほど変人じゃないからな」と反撃しながら、

 

 「はて? あの時計その後どうなったかな。ついには、親たちから叱られたことがないから、どこかへいってしまったのだろう」と、大き目の杯になみなみとついでぐいっと飲み干した。

 

2016年5月24日 (火)

「二」の空間

「ここへ来る前、駅前の本屋で立読みしていて、不思議な俳句にでくわした」と、いつもの縄暖簾でやっているところへ中田が入ってきた。

 「俳句に〃不思議〃とは珍しい、それこそ不思議な評ですね」と、ヒロ子さん。

 「無季吟だけれど、『信貴山の縁起絵巻を観て二日』というんだ」

 

 俳句には弱いので、黙って二人の話を肴に熱燗をやっていると、 「川口、お前、信貴山縁起絵巻って知っているか?」と、中田がこちらへ顔を向けた。中学か高校の美術史の時間、写真で見て知っていると答えると、ヒロ子さんが、

 「長者の倉が飛ぶのや、何天皇だったか、病気回復を祈ったら剣をもった童子がやってきて天皇の病気を治す、あれ?」と口をはさんだ。それに中田が、

 「剣を持った童子は、剣の護法童子というんだ」と。

 

 「ところで、先の俳句のどこが、不思議なんだ?」と中田に水を向けると、

 「信貴山の宝物館で作者は縁起絵巻を観て感心したんだろう。そして二日目というんだ」

 

 ヒロ子さんと同じように、中田の言葉に耳を傾けていると、

 「二日目が面白いんだ。絵巻を見た当日、一日目は俳句を作った人の気持ちは、絵巻に吸い込まれている。三日目になるとその人の心は絵巻から遠のく、客観的になってしまうだろう。ところが、二日目はその中間、離れずくっつかず、独特の空間を心が漂う。そんな不思議な心のありようが、詠まれていると思ったのだ」という中田の説明に、ヒロ子さんは、ちょっと理解しにくいと困った顔ををしていたが、

 「よく分からないけど、旅行先で素晴らしい風景に接して、その帰りの電車の中で、それを思い出すことがあった。家に帰ってしまってから思い出すのとはちょっと違うとは気付いてはいたが…、あんな感じかなあ?」と、少し目を遠くして言葉を継いだ。

 「なるほどね。一と三の間の二にはそんな味といったらいいのか、魅力があるのか!」と口の中でモゾモゾ言ってると、

 「川口、お前以前に芥川龍之介が、一高時代、成績が二番だと書いた解説書に、首席ならともかく、なぜ二番をわざわざ書いているんだろう、と訝っていたなあ。『二』には独特の意味、美学があると、解説者は考えていたんじゃないか?」と、中田が言葉を足した。

 

 「一番は先生の方ばかり気にして、全然面白みがないし、三番は完全に仲間うちという感じで、親しみはあるが、ポピュラー。そこへいくと、二番は親しみもあり不思議に頼れ、しかもあいつはちょっと違うという感じを持っていたなあ」と納得した。と、中田が、

 「そんなところだ。ということで、こちらも、ちょい醉いの一本と、酔っぱらう三本のあいだの、ほろ酔い二本目をお願い」と、ヒロ子さんに注文して話にケリがついた。

 引用の俳句は、神戸茅乃さんの句集『まゆごもり』から 

 

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2016年5月16日 (月)

わ・が・ほ・さ

 「中の娘が幼稚園のとき、送り迎えをしてたんだ」と、いつもの縄暖簾で中田が、誰にともなく言い出した。

 

 「往きは時計との競争になるから、最短の道順をとったが、帰りはいろいろの道を冒険していた。畑の畔道や、小さな流れをポイと越えたり…」

 

 「中田さんにも、そんないいパパ振りの時代があったの?」と、ヒロ子さんが、洗い物をしながら、ヘエ! という顔をした。

 「めったに、人が通らない家と家の間のジメジメした苔の路地もあった。よくあんな抜け道を見つけたものだと、思い出しても笑えてくる」

 

 「中田さんも変なおじさんだけれど、幼稚園時代の娘さんも好奇心旺盛な女の子だったんですね」

 

 「親に似たんかな。今も好奇心は強いよ」

 

 そんな話の中へママさんが加わってきて、

 「今、おいくつぐらい? エッ! 二十を越えてるの。顔がみたい。つれてきてあげてよ。オヤジはいつも、こんな美人のママさんの所で飲んでいるのかと感心するわよ」

 

 「なるほど、コ・ン・ナ・ビ・ジ・ンか? 娘はよく飲むからな。川口とは一度一緒しているよな」と話を振ってきた。

 

 「そう、"川口のオジサン"とよくなついてくれていた。大学は大阪の方だったかな?」

 

 「ところで、あれは春先のころだったか、帰り道の冒険で、いつもの橋ではなく、遠回りの橋を渡った。

 

ところが、渡りだしたところで、なにを思ったのか『パパ、わがほさってなに?』とたずねるんだ。どこかで聞き覚えのある四つの音だったが、とっさにには分からない。〃わがほさ、ワガホサ〃と繰り返していて、ハッと気がついた。当時、わが家族は佐保川の土手下の集合住宅に住んでいたんだが、その橋の端っこに橋と川の名前が書かれているだろう。あれを見たんだな」

 

 「それに"わがほさ"と書かれていたのか? 大変な間違いじゃないか」と川口。

 

 「そんな間違いする?」とヒロ子さんは口をとがらす。

 

 「間違いではなかったんだ。正しく"さほがわ"とあったよ。ところが、娘は覚え立ての平仮名を読んだはいいが、自分の目の高さの文字、""を起点として、しだいに遠く高くなる字を順に読んだんだな。自分で読めるように読んでいたんだ。それに気付いたのは橋の中程だった。笑ったよ。今じゃ、オヤジをオヤジとも思っていないなまいき盛りだが、今思い出しても笑えてくるよ。娘が結婚の披露宴でもやらかすなら、その席上で、こんなエピソードがありました、と発表してやろうか、と密かに思っている」

 

 「中田さん、そんな話席上で出来る? 涙ぐんで声もろくすっぽ出ないんじゃない」と、ママさんがまぜかええす。

 

 「上の娘で免疫あるから、大丈夫だろう」と助け舟をだしてやると、ビールをぐいっと一気にやって、気持ちを立て直した中田は、

 

 「笑いながら橋を渡っていたが、渡り終えた所で、ふっと笑いが止まった」

 

 「なぜ?」とヒロ子さん。

 

 「自分が読めるように読むというのが、子供だけではないと思ったんだ」

 

 「それって、どういうこと?」

 

 「ううん、そうだな。たとえば、文字ではないが、これまで目にしたもので、陽は昇り陽は沈むと書いたものが全てで、地球が太陽のほうへ転び傾き朝を迎え、太陽から転び遠ざかり夜となるなんて書いたものないだろう」地球が動き回転する地動説が真理とされる現在でも、『陽は昇り陽は沈む』と太陽が地球の周りを巡る天動説が幅をきかせている」

 

 「本当、地球が太陽のほうへ転びなんて書かれると、地球から溢れ落ちそうで、気味が悪い」とヒロ子さん。

 

 「そうね、"動かざること山の如し"って言うものね」とママさんが、渋い一節を口ずさんだ。

 

 「ヨウ、信玄ママさん!」と声をかけると、ヒロ子さんが、

 「ママを冷やかすと勘定高くなるからね」と睨む。

 

 「"陽は昇り陽は沈む"なんて、実感的、体感的な言い方だが、いかにも自分中心、地球中心的だな。"わがほさ"とそんなに違わないか?」と言うと、

 

 「そう! そう思ったんだ。実感と体感的にはな。しかもそれが全てという意見もある。しかし、それが狂信的になると地動説を唱えた人間を火炙りにするようなことになる。ガリレオが〃それでも地球は回っている〃とぶつぶつ言ったとか。と言って、超高速で地球が動き回っているとは実感できない」と、ここまで言って、中田は一息ついて、飲むことに専念した。

 

 しばらくして、ヒロ子さんが、

 「人間って、不思議な動物。地球が動き回っているというのが正しいと知りながら、動く方は太陽や星々と納得しているんだから」とひとり言。

 

 「本当だ、相反することを、内に秘めて平然としているんだからな。……ヒロ子さんは美人で優しいことを実感しながら、時には怒ると猛烈に怖いと思いながらも、気安く話しかけているようなものだ」と言うと、

 

 「わたしは怖くなんかありませんようだ」に中田が笑いだして、この話は終わった。

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